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2019-10-30:

ソフトバンクグループ会長兼社長 孫正義氏が語る"人生の志"とは

ソフトバンクの新卒向け採用の説明会「孫正義LIVE2011」にて孫正義氏は自身が何を想ってソフトバンクの事業をおこしたのか、どんなことを成したいと思っているのか。どういった志を持っているのかを語りました。

孫氏はこの20年間日本はほとんどGDPが成長しておらず、色々な政治的問題あるいは経済の問題があり、国全体が活力を失っていると語りました。

日本をもう一度蘇らせる、日本の夜明けをもう一度迎える、そういうためには高い志、また高い志に多くの若者たちが結集して世の中をもう一度活性化させるという想いが大切なのではないかと語りました。

孫氏は16歳の頃に渡米しました。
父親は病に伏せていましたが、周囲の反対を押し切って決意をしました。

その時の孫氏の心には何か大きな事をやってやろう、何か多くの人々を助けよう、自分のあるいは自分の家族の私利私欲ではなく、もっと大きな人生を燃えたぎらせたい、ひきちぎれるほど頑張ってみたい、それを成したい。という想いが強烈に芽生えていたと語ります。
この想いが孫氏にとっての最初の志となりました。

そこから、彼の人生において5つの大きな勝負がありました。

1つめの人生にとっての勝負、それは志を立てて渡米をしたという事でした。

周囲のアドバイスを振り切り、自ら退路を完全に断ち勝負をしました。
渡米後は誰にも負けないと言える程、昼夜問わず勉強に明け暮れました。
落ち着いて食事をする時間も持たずに、命を燃やしてちぎれるほど勉強をしました。

そして19歳の時に、今まで他の事には脇目も振らず勉強をしてきた孫氏は、1日1つの発明をするという事に1日の5分間を費やす事に決めました。

そこで初めて発明をしたのがマイクロコンピューターを使ったフルキーボードのポケットコンピューターでした。
そこから孫氏は仲間を集め、彼の発明を実現するプロジェクトチームが出来たのです。

そして彼は人生50ヵ年計画を立てました。

20代で名乗りを上げる。

30代で軍資金を貯める。

40代でひと勝負をかける。

50代で事業を完成させる。

60代で、次の世代にバトンタッチをする。

この5つのステージのライフプランを一度も変えず、孫氏は人生を歩んでいきました。

そして大学卒業後に帰国し、ソフトバンクを設立しました。
20代で名乗りを上げたのです。

"登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる"

自分の人生をこれからどう過ごそうか、どういう人生にしようかと悩んでいる人へ
自分が登りたい山は何なのか。自分の志ってなんなのか。自分の成したい事ってなんだろう。
これを決めることが大切だと語りました。

彼自身も何を成すために自分は生まれてきたのかを深く考えました。
冷めない情熱を一生持ち続けられる事とはどんな事なのか。

そしてデジタル情報革命を通じて世界中の人々に知恵と知識を共有できるような事業を作り、それを共有する事で人々がより幸せになれる仕事に自身の人生を賭けるにふさわしいと決意をしました。
それこそがソフトバンクの志なのです。

そして、創業してすぐに2つめの人生にとっての勝負に出ました。
資本金1000万円の会社を設立しましたが、その資本金をエレクトロニクスショーで名乗りを上げる為に1ヶ月後に全て使い果たしてしまいました。
博打の勝負に打って出たのです。
そして、1週間後に取引依頼の電話がありました。
そこからソフトバンクは一気に0の売り上げから30億円の年商にまで成長をしました。

ですが、そのあとに大きな苦難が待っていました。

体調を悪くし、3年半もの間入退院を繰り返しました。
周囲の人々は少しずつ去っていきました。

病気が治り30代になった孫氏はアメリカでもう一度チャレンジする事を決めました。
30代で軍資金を貯める計画の通り、株式上場をしてアメリカに進出しました。

そして、出版とコンピューター業界で世界最大のジフデービスという会社を買収しました。
これが、人生3度目の勝負でした。

そうして当時出来たばかりのヤフーに投資をして筆頭株主になり、ヤフージャパンをおこしました。
そしてやってきた40代で孫氏は、あまりに増えすぎた自身の財産を前にお金が欲しくなくなってしまいました。

お金よりも大切なのは人に喜んでもらえる、人から本当に感謝される事なのだと改めて思いました。
そして次の4つめの勝負をかけようと考えました。ブロードバンドへの参入です。

ですが、その直後にネットバブルが崩壊しました。
100分の1に減った株式価値に周囲はまるで孫氏を詐欺師や犯罪者扱いしました。
いつのまにか贅沢なことを言っていられない状況になりました。

そこで既に準備をし始めていた大勝負として、ブロードバンドに移行する事を決意したのです。

当時の日本のインターネットは、先進国で世界一遅いものでした。
それを世界一安くしてやろう、世界一高速にしてやろうと孫氏は思いました。
それこそが自身が立てた志であり、デジタル情報革命という目標でした。

そうする事で競合しているライバルが漁夫の利を得る事にもなります。
ですが、それでインターネットユーザーの全員が喜び、最終的に日本国民全員がインターネットユーザーになって喜んでもらえる。
そう信じて世界最高速、低価格のブロードバンドを提供する事を決めました。

そしてヤフーBBを開始しました。
孫氏は当時の事を「命の叫びとして、命を賭けて、血走った目で血反吐を吐くような思いで、やりました。」と語りました。その間もデジタル情報革命を起こしたい、ブロードバンド革命を起こしたいという志は捨てませんでした。

結果日本のインターネットは世界一安くなり、世界一の速度が出ました。

そして5つめの大きな勝負、モバイルインターネットに向けて走り出しました。
その頃ブロードバンド参入により、利益が出るようになりました。
ネットバブルの傷も少し癒えて、時価総額も復活していました。

ですが孫氏は"40代でひと勝負をかける"という自身の計画通り、ブロードバンドへもう一度全財産を投入し最後の大勝負に出たのです。

それが、ボーダフォンジャパンの買収でした。
周囲からは上手くいかないだろうという声もあがっていました。
ですが、徹底的に改善点を打ち出し解決していきました。
そして利益を生んでいきました。

その頃登場したのがiPhoneでした。
そのおかげでさらに業績は上がっていきました。

そして50代になった孫氏はビジネスモデル、事業を完成させるという大きな目標を達成しました。

ソフトバンクは
”モバイルインターネットの世界ナンバーワンの会社になりたい”
”そしてアジアインターネットのナンバーワンになりたい”
この2つの方向性を持って戦略を進めてきました。

「日本のモバイルインターネットは、ものすごい勢いで進化をし成長をしています。それはモバイルインターネットの世界がまだ始まったばかりだからです。
日本が唯一復活できる可能性があるものは、人間の数ではかなわないわけですよ。筋肉でもかなわない。賃金でもかなわない。頭で勝負する。
ここなら唯一日本の最後のチャンスがある。」そう孫氏は語ります。

インターネットの世界であらゆるコンテンツが流れる。
その中で人間の脳を、人々の知恵と知識を集め推進して、人類の社会発展、幸せに貢献する。
それがソフトバンクの理念であり志なのです。

そして孫氏の次の目標は、60代で次の世代にバトンタッチをする事です。

皆がリーダーになる資格があり、チャンスを持っている。
そしてリーダーに求められる必要不可欠な条件、それが「高い志」です。

「金を残すより、名誉を残すより、人を残したい。人に志を残したい。」

「志とは。人生とは。自分の人生を何に賭けたいのか、心に決めておく。」

「自分の人生。目指すべき山、これを決めてほしい。」

そう言いながら孫氏は最後にこう語りました。

「僕に与えられたのはただひとつ。

人生の命題は、コンピューターを使って、インターネットを使って、デジタル情報革命を起こす。
そのデジタル情報革命を起こす事によって、多くの人々が知恵と知識を共有できて、500年後1000年後の人々が感謝をしてくれる。

わけも分からずに直接我々あるいは間接的に、ありがとうとただ一言つぶやいてくれる、それだけでいい。

それが僕にとって、そして僕についてきてくれるカンパニーとしてのソフトバンクの社員の人たちに共有して持ってほしいわけです。
みんながなんらかの形で、幸せになってくれればと。

みんながちょっとでもそういう気持ちを共有して、残りの多くの人々に少しでも幸せを提供できたら、人類がもっと平和になって、多くの人々がもっと幸せになれる。そんな世の中にできたらいいなと僕は思っています。

ありがとうございました。」

藤原和博氏セミナー「親は子供に何を残せるのか」 藤原和博氏セミナー「親は子供に何を残せるのか」