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2020-01-24:

国連難民高等弁務官(UNHCR)特使 スピーチ || アンジェリーナ・ジョリー

こんばんは。この度は演説の機会をいただきとても光栄です。招待してくださったデメロ財団とこの場にいる皆さんに感謝します。故セルジオ・ヴィエイラ・デメロ氏と国連職員を含む21人を偲ぶため私たちはここにいます。

2003年8月 バグダッドの国連本部爆破テロの犠牲になった人々です。亡くなった全ての人々と道半ば絶たれた彼らの遺志そして遺族の方々の悲しみを私たちは忘れません。

彼らが示した模範の力を忘れていません。イラク国民の支援のため11カ国から集結した勇敢な職員たちは国連安全保障理事会(安保理)の指示のもと私達を代表して働きました。忘れられがちですが、彼らは国連職員として私達の代理として命を落としたのです。

当時、現場を指揮していたデメロ氏は品位と才覚にあふれた人だったと彼を知る大勢の人が語りました。彼は30年以上人生を国連に捧げました。

事務職員からスタートし、国連人権高等弁務官兼イラク特別代表となりバングラディッシュからボスニア、南スーダン、東ティモールにまで足を運び、活動の大半を現場に捧げました。戦争により故郷からの避難を余儀なくされた人々のそばで外交と交渉の能力を駆使して彼らを助けました。

恐らく、デメロ氏の貢献の偉大さは彼なら今の状況に対し価値ある助言をしたであろうと思えることです。

シリア紛争は7年目に突入し難民問題は、国連設立以来最大の危機を迎えています。イエメン、ソマリア、南スーダン、ナイジェリアでは2000万人もの人々が餓死に瀕しているのです。

国連のリーダーたちは今誰もがこう思っているでしょう。デメロ氏に相談し助言を聞けたらと、あるいは再び彼を現地へ送りこめたらと彼の死は今も惜しまれています。

僭越ながら今日、この場を借り彼のご家族や元同僚の方々の前で私の思いをお話します。私はデメロ氏と面識はありませんでしたが、彼が殉職した現場の銘板の前に立った時深い悲しみをかんじました。

現在に至るまで大勢の人々を苦しめ続けているイラクの紛争が悲惨な状況の改善に尽くした人々の命を奪ったという悲しみです。しかし同時に人々のために命を捧げた彼らの存在意義と崇高な魂をはっきり感じました。

デメロ氏はどんなに困難で危険な仕事も決して拒まない人でした。彼は不可能に近い任務を次々と引き受けていたそうです。トマス・ペインの言葉を借りるなら”世界が彼の祖国であり、良識が彼の宗教”でした

彼は後進にとって英雄であり勇気を与える存在です。14年前に旧カナル・ホテルが爆破された後も国連の任務は続いています。数百人の国連職員が今もイラクで働いています。
アフガニスタンやソマリアでも同じです。

平和と安全を築く任務を諦めるわけにはいかないからです。たとえどんな苦境にあってもです。これは国連人権高等弁務事務所特使を16年間務めてきた私の気持ちです。デメロ氏も長年UNHCRで働き代表も務めました。

一方で私は母国アメリカの一市民でもあります。国連職員は皆、2つのアイデンティティを持っていると思います。国連は国ではありません。異なる国の人々が集まり手と手を取り合って立場や意見の相違を乗り越え団結して共通の活動に取り組むところです。一市民としての私から見ると現在の世界の情勢は私が記憶する限り最も不安定な状態だと感じます。

同様に感じている方も多いでしょう。現在、私たちが直面している紛争や情勢不安はもはや手に負えないほどの規模です。難民の数は過去にないほど膨れ上がり何十年も続いている紛争に加え新たな紛争がいくつも勃発しています。

さらに愛国主義を装ったナショナリズムが台頭し、恐怖や憎悪をあおるような政策が再び現れ始めています。また政治家のなかには、国連の機関や国際的な取り決めを拒絶することで当選した人もいます。他国との居言う力は百害あって一利なしと吹聴しているのです。

国家のリーダーの中には最も誇るべき実績を最大の負担であるかのように語る人もいます。つまり難民を受け入れて共生するという伝統や法律と人権に基づいて築いた機関や条約のことです。

国際刑事裁判所の設立に誇るべき役割を果たした締約国が次々と脱退しています。そして戦争犯罪に対する逮捕状は発付されても執行されず、その他の犯罪は完全に見過ごされています。

南スーダンのケースでは、国際社会は独立を支持しましたがその後、支援は空洞化、国連はNGOは見捨てていませんが支援は事実上空洞化しています。政権安定には必要な多大な支援を南スーダンは得られずにいます。
市民の安全の確保や化学兵器などの使用の禁止は決議や国際法で名言されていますが度々無視されています。

シリアでは安保理の拒否権行使の陰で化学兵器の使用が見過ごされました。

こうした問題は今に始まったことではありませんが、強力な国際的リーダーシップが不在の今全体として非常に憂慮すべき事態です。この状況をどうすべきか市民として考えたとき

私たちの答えは?

一部の人々が言うようになったのです。背をむけ嵐が過ぎ去るのをただ待つべきかそれとも外交と国連の活動により深く献身するべきか、私は強く信じます、選択肢はただ一つ

私達が選ぶべき道は理性と良心に従い、外交と交渉に力を尽くし国連の改革を行うことだともちろん決して容易な道ではありません。

世界は今不安要素にあふれています。激化し終わりの見えない紛争とテロへの恐怖、グローバリゼーションは一部のものに莫大な利益をもたらし、反面は大勢の生活レベルを低下させました。市民と政府は互いに断絶感を抱き、統治力さえ欠く国もあります。

技術は進歩し世界はつながりましたが人々はその力に翻弄されつつあります。こうした要素の全てが世界のバランスを危うくしているのです。簡単な解決策はありません。一世代で努力によって貧困から抜け出した人は確かに何百人もいます。

でも私達のように豊かな民主主義社会に生まれた人の生活とスラム街や難民キャンプで生まれた人の生活にはあまりにも差があります。それが間違っていることは人間であれば誰もが分かるでしょう。この不公平さが情勢不安や紛争や移民増加の要因となり一部の国が他国を犠牲にし冨を独占しているという認識を生み出しています。

改めて市民としての私達の答えは何なのでしょう?

共に解決を目指すべきと考えたかつての責任感を忘れて世界に背を向けるのでしょうか。

私は誇りあるアメリカ人であり、同時に国際主義者でもあります人権活動に関わる人は皆、国際主義者だと私は信じています。国際主義者は公平かつ謙虚な目で世界を見て人々の人間性を見いだします。自国への愛に根差しつつ、他を犠牲にしません。

愛国主義からうまれるものであり、偏狭なナショナリズムからではありません。相手を負かすことや相手より強くなることだけが成功ではないと考え、他の人も成功できる世界に自分の居場所を見つけようとします。強い国は、人間と同じように他の人々の自立を助けます。

その精神が国連の設立につながったのです世界が、がれきと化し6000万人が亡くなった第二次世界大戦後ナチズム打倒の前に既に示されていた構想を元に戦勝国のリーダー達が国連を築きました。現在のリーダー達がその国際主義を貫こうとしないのなら市民がやる他ありません。

世界のバランスをどう回復し希望を取り戻すか、それが私達市民の課題です。

国際主義の価値と必要性ついて学んだことを生かし実現するのです。

私たちが世界における責任に目をつぶり問題に背を向ければ、世界の情勢不安は増すでしょう。私達もこどもたちも暴力と危険にさらされるでしょう。これは理想主義と現実主義の対立ではありません。平和と安全への近道はないということです。

紛争を終結させ、人権を拡大し法の支配を強化するためには根気よく丹念に取り組むより他に方法はないのです。強いリーダーは国益のために人権を退けるのをいとわないという考えには異議を唱えるべきです。

真に強いリーダーは国益と人権の両方を追求する人です。

倫理的価値を守り抜く強い意志を持つことは国家や軍隊の弱体化にはなりません。その強さの礎となるのです。国連が完璧とは言えません。完璧ではありませんから。

国連を批判したことのない国連職員を私は知りません。苦難の中、デメロ氏も批判したでしょう。

彼も私達と同様に国連がもっと決断力を持ち、官僚でなく、目的にかなう組織になることを望みました。でも彼は決して見切りをつけたりあきらめたりしませんでした。国連は完璧な組織ではありません。人間という完璧でない生き物が作った組織だからです。国連の下してきた決定特に安保理の決議が私達が現在直面している状況を作ってきました。

なぜ国連が設立されたのかその理由を忘れずに責任を全うするのが私たちの義務です。国連を弱体化させたらどんなダメージがあるでしょう、国連の役割を限定させたり、停止させたら?外交の代わりに経済的支援だけに頼ったら?あるいは国連に困難な任務を押し付けて資金を十分に与えなかったら?

具体例をあげると、現在行われている人道支援活動はどれ1つとして必要な資金の半分も与えられていません。それ以下です。飢餓に苦しむ国への資金援助は17パーセントや7パーセントという低さわずか5パーセントのところもあります。

もちろん緊急物資支援は長期的な解決策ではありません。支援国の市民も政府も難民も誰も支援に頼りたくないのです。

むしろ資金の全てをインフラや学校や貿易や企業に投資するほうが効果的です。とはいえ緊急物資支援の継続は必至なのです。市民の権利を守れない状況にある国が多いからです。外交が不可能な国では緊急物資で支援するしかありません。

紛争の防止と低減をきちんとできるようになるまでは崩壊してしまった社会の人々に食料と避難場所を提供するしかないのです。元国連事務局長でデメロ氏と同じく殉職したダグ・ハマーショルド氏は言いました。

「全てはうまくいくそれはいつか?人々 つまり一般市民が国連をピカソの抽象画のような難解なものではなく自分の描いた絵として見るようになるの時だ

国連を変える唯一方法は政府の政策を変えることそして政府に政策変更を求めるのは私達市民です。

考えてみたら感動的です。国連憲章にある”将来の世代”とは私達のことなのです。”戦争の惨害から将来の世代の救い”という国連憲章の言葉は祖父母の世代が私達を思って書いた言葉です。彼らは私達の安全を願うと共に責任もまた残しました。

ルーズベルト台帳量は1945年1月一般教書演説でこう述べました。第二次世界大戦終結の6ヶ月前のことです。

「外交政策の分野で我々は国連と結束することを提案します。戦争のみならず、戦争で勝ち取ろうとしている勝利後のせかいのために」

こ言いました。

「確固たる基盤は築けるし必ず築かれるでしょう。しかし長い目で見るなら平和の継続と確保は人の手でなされなくてはなりません」

私達はその任務を遂行できているでしょうか。彼らが開いてくれた道はどうなったでしょう?確かに私たちは大きく前進しました。
しかし国際的な取り決めや国際機関は私たちの意志で支えなければ無力です。

もし支えるのをやめれば、今以上に暗く不安定な世界を次の世代に残すことになります。何世代にも渡り多くの血と汗が流されてきたのはそれを許すためではありません。

先人たちが残した軌跡は私達に理想を手放さないようにと教えているのです。時が進んでも変わることなく、私達は何者で何を守るべきか思い出させてくれるのです。挑み続ける希望を与えてくれるのです。

デメロ氏が死の間際まで挑み続けたように。

彼の死から14年、いまこそ国連の理想と目的を私達が忠実に追求すべきときです。いまこそ彼を思い出してほしいのです。デメロ氏になれなくても私たちの世代が国連憲章の決意を新たにすることはできるはずです。

”国際平和及び安全を維持するために力を合わせ一層大きな自由の中で社会的に進歩と生活水準の向上を促進する”のです。

しかし実際のところ、いくら努力してもその言葉通りの理想に近づけず、目下の問題に挑むことが精一杯だとしても諦めず努力を続けるべきです。

意志を強く持ち、忍耐強く、そうすれば私達は必ずデメロ氏というすばらしい国連職員の後継者となれます。

彼の行った善行にくらべればわずかかもしれません。

でも、どんな方法であれ彼がやり残した仕事を引き継ぐことは誰にとっても有意義なことです。

ありがとうございました。

藤原和博氏セミナー「親は子供に何を残せるのか」 藤原和博氏セミナー「親は子供に何を残せるのか」